「美しき五月」の晦日に

本来であれば、一年でもっとも過ごしやすく快適なこの五月なのに、心は暗い。

なぜか。

大震災このかた、行方不明者の捜索ははかどらず、避難所生活を強いられている方が10万人を超える。

それに、いつ収束するか、まったく先の見えない原発事故。

なにより、内閣総理大臣という国の最高責任者が、平気でうそつき、責任逃れをする醜態を毎日のように見ざるを得ない苦痛。

かくのごとき心情を綴って、この「美しき五月」の晦日を締めるのは、はなはだ遺憾と言わざるをえない。

 

 

最近の録画機器のありがたさ

NHKの衛星放送で、ある映画監督が選んだ日本映画100選というのをやっている。

こういう企画をたてるNHKもNHKだが、引き受けるこの映画監督も映画監督だ。同業者が同業者を選ぶ? そんな大それたことをよくやるね。先輩・同僚監督の仕事への敬意や畏怖のようなものを、この人は持っていないのか。もし、そのようなものを持っているのなら、とうていこんな失礼なことはできないと思うのだが。

おまけに、このシリーズ、一本の映画の前後に、この映画監督とは別のタレント風映画監督と女性アナウンサーのしゃべりを入れるのだが、これが蛇足の典型ときているから、興ざめなことこの上ない。

だが、ありがたいことに、最近のハードディスク録画機は、映画本編前後のくだらないおしゃべりを、簡単に消去できるようになっている。だから、衛星放送の映画は、放送時点では鑑賞しないで、しかるべく時間をおいて後に、この蛇足部分を消去して見ることにしている。

こうすると映画そのものの鑑賞に専念できてすこぶる快適だ。当世の家庭用AV製品のこうした機能には感謝である。

 

 

「人を殺したから世界が良くなる」と発言するアメリカの大統領

ビン=ラディンを暗殺したアメリカの大統領が、暗殺発表の記者会見で、「ビン=ラディンを殺したから、世界は良くなる」と発言していた。

狂っている。

その人物がたとえどのような人物であろうと、その人物を抹殺すれば自体が好転するなどと考えることは正気の沙汰ではない。正気の沙汰ではないことが、史上例を見ない巨大なパワーをもった超大国の指導者によって、何のためらいもなく無邪気に言明される。

これを狂気と言わずしてなんと言う。

このような大統領を戴き、しかも、その発言を喜ぶ国民がいるアメリカ合衆国という国が、今、その気になれば何でもできるこの世界は、はたして正気なのか。

こんな世界に、同時代人として生を受けていることの意味を思う。

 

前代未聞の異事—オバマによるビン・ラディン暗殺

昨日、何気なくTVを見ていたら、アメリカ合衆国の大統領が現れて、誇らしげに、ビン・ラディンを殺害した、と言明した。

殺害実行場所がパキスタン国内。他国領土内で、一国の政府機関が暗殺を実行し、しかも、そのことを衛星中継までさせて公表する大胆というか不遜というか。

前代未聞の異事である。

暗殺そのものは、そのことの当否は別として、昔からあるもので、古くは、荊軻(けいか)という刺客が、秦王・政(後の始皇帝)を暗殺しようとして失敗したことが「史記」に見えるし、近くは、第一次世界大戦開戦の原因となったオーストリア=ハンガリー皇太子のセルビア人による暗殺(サラエボ事件)も有名であるが。しかし、いずれの場合も、弱い立場にあると感じた者が強者を倒そうとする、「窮鼠猫を噛む」とでもいうべき状況の中で、企図され実行されたものである。

アメリカ合衆国といえば、史上空前のパワーを誇る超大国であることは誰しも認めることだが、その超大国が、刺客を遠い他国に派遣して、いかに影響力がある人物とはいえ、一個人の暗殺を実行させるとは、いったい全体どうなっているのだろうか。名高い暗殺事件とは状況が逆さまだ。いわば、窮鼠ならぬ、「窮猫鼠を噛む」のたぐいである。

それほどアメリカはビン・ラディンが怖いのか。あるいは憎いのか。

アメリカには例の9・11事件への復讐という意味があるのだろうが、「法の下の平等」や「法の適正な手続き」を柱とする民主主義の本家本元を自認する国が、裁判をやるでもなくいきなり刺客を派遣して殺人に及ぶという、適正な手続きもへったくれもあったものではない振る舞いに及ぶとは、いったいどういうことなのか。

ここまで書いてきて、強大な権力者による影響力ある個人の暗殺ということでは共通項がある、スターリンによるトロツキー暗殺のことが浮かんだ。スターリンは政敵トロツキーを、その亡命地のメキシコまで手を伸ばして暗殺した。しかし、当時、スターリン自身はもちろんのこと、ソ連政府もトロツキー暗殺との関わりを認めることなどなかった。

これと比べて、オバマによるビン・ラディン暗殺が異様なのは、上にも書いたとおり、暗殺直後に、暗殺の命令者が公然と名乗りを上げ、恬として恥じる様子もないことである。

超大国の権力者としての自信のなせる技なのか、それとも、あるいは、単なる無知なのか。

いずれにしても、オバマは、これで、憎しみと暴力の果てしない連鎖反応というパンドラの箱を開けてしまったことは間違いない。

だから言わないことではない

こういう言い方は好きではないが、いたしかたない。

菅直人が、一国の最高責任者には不向きな男であることは、昨年9月の民主党代表選で明らかだった。

にもかかわらず、国民と国土を守るよりも、自己一身の利益を守ることを優先する新聞TV、それに踊らされた民主党の国会議員など、菅直人を民主党代表に押し上げ、日本国総理大臣にしてしまった愚か者たち。

ヘーゲルだったか、歴史は、高貴な人物が(高貴といっても生まれによるそれではないが)汚辱にまみれ、愚か者が大手をふるってはびこる悲劇というか喜劇というかに満ちていると述べていた。

大震災と大津波、原発事故という三重苦になす術もない菅直人。このどうしようもない無能な、しかも、我欲だけは3人前の人物が、この未曾有の難事に日本国家の最高責任者をやっている悲劇というか喜劇というか、それらのないまぜになったものに、はなはだ遺憾ながら、同時代の日本国民としてつきあわざるを得ない、これまた悲劇というか喜劇というか、なんというか……

だから言わないことではないのだが、しかし……

大震災の教訓

このたびの大震災の教訓はいろいろあるが、一つは、この国の国民と国土を守るのは、とどのつまり、自分たち、すなわち主権者である自分たち国民以外にはいない、ということだと思う。

まずい結果になると、「想定外」を連発して責任逃れをする科学者や電力会社、その言い逃れをオウム返しする政治家が守ってくれるわけではない。

壊れ方があの程度だったから、日本の技術はたいしたものだと、頓珍漢なことをうそぶいて平然としている経団連会長が守ってくれるわけではない。

これらの連中の宣伝機関と化した新聞やTVが守ってくれるわけではない。

いわんや、同盟国だというアメリカが守ってくれるわけではない。アメリカは、金の卵を産む限りの日本が大事なのであって、卵を産まなくなった日本には用はないのだ。

では、主権者であるわれら国民は、どのようにして自分たちと国土を守るのか。

至極簡単である。自分たちの生活は自分たちで守ろう、自分たちの国は自分たちで守ろうと思えばよいのだ。自分たちのことは自分たちで守る。この当たり前のことを思い、そのように振る舞えば、問題解決の第一歩を踏み出したのであり、道の半ばは越えたと言うべきだろう。

まず、手始めに、国民と国土を守ることよりも、アメリカと、そのアメリカのおこぼれをもらって栄耀栄華する自分を守ろうとしている新聞の購読を止めること、TVを見ないことにしたらいかが。きわめて重みのある第一歩だ。

日本の政治

大震災と福島原発事故が明らかにしたことは、結局のところ、この国の政府には、国民と国土を守る意志も能力もないということのように思われる。

福島原発の事故。「想定外」と東電、原子力推進論者は言うけれど、この事故のどこが「想定外」なのか。

わが国は地震国であり、津波の大被害も繰り返し受けてきた。それを考えれば、津波常襲地帯の太平洋岸に立地した原発の、それも非常電源関連装置を海岸すぐ近くに置くことの危険は明らかだった。

にもかかわらず、これを指導するでもなく放置する政府とは何ぞや。

2位の座を明け渡しとはいえ、依然として有数の経済大国であり、巨額の防衛関係費、災害対策費を国家予算として計上しながら、この災害時に、他国の軍隊の出動を頼まなくてはならない政府とは何ぞや。

「治にいて乱を忘れず」とは政治の要諦だが、この国の政治は、治にいて乱を忘れ去り、新聞・TV演出の愚にもつかない「政治とカネ」に踊っていた。

愚者の楽園。

第2次世界大戦敗北後、敵国アメリカの占領を経て、この国は、国民と国土は自国政府が守るという独立国としての当然の有りようを見失ってしまったかのようである。

クリントン女史天皇会見と宮内庁長官のダブルスタンダード

過日、アメリカ合衆国国務長官ヒラリー・ローダム・クリントン女史が来日した。5時間の滞在だったそうな。

この短時間に、女史は、日本国総理大臣菅直人閣下に、おそらく「焼きを入れた。」 「アンタ! なにやってんの!いくらアメリカの番犬役を忠実にやってるからといって、反原発の世論を勢いづかせるようなフクシマの不手際を繰り返すようだと、クビにするわよ!」

このあと、女史は、皇居で天皇皇后と会った。

うん? 彼女は国家元首? あるいはそれに匹敵する人?伝えられるところによると、女史は、「元大統領夫人として」面会を希望したのだそうだ。

ふーん。

1年ちょっと前、中国の国家副主席と天皇が会見した際、宮内庁長官羽毛田氏は、天皇会見の「3ヶ月ルール」を盾にとって異議をとなえた。いわく、「天皇陛下の健康上の理由もあり、外国の賓客との会見は相手が元首級を原則とし、3ヶ月前までに外務省を通じて宮内庁に申請し、調整の上…なのに、中国副主席はいきなりのことで、民主党、とりわけ小沢幹事長の横暴だ」というものであった。

羽毛田氏は、なぜ、今回のクリントン女史の会見については異議をとなえないのか。3ヶ月前に申請したものではあるまい。しかも、女史は元首でも何でもない、ただの外務大臣だ。元大統領夫人? そんな人物はこの世には掃いて捨てるほどいる。

つまりは、アメリカならよくて、中国はダメ、ということなのか。つまり、ダブルスタンダードだな。

こういうことをやるから、日本はアメリカの属国、本当の独立国ではないと思われるのだ。

遠い昔、はるかかなたのユーラシア大陸東方海上の島国で…

遠い昔、はるかかなたのユーラシア大陸東方海上の、島国であった話。

その国の人々は、善良で心やさしく、争いごとを好まないことで知られていた。

地震、津波、台風など天災の絶えないところであったが、どれだけ被害がひどかろうと、人々は、われ先に利をむさぼることなく、乏しい食料を分かちあう利他の美風を実践していた。

ところが、こんな理想的な国でも、悪知恵を働かす人はいるもので、人々が善良なことにつけ込んで、悪さのし放題であった。そのよこしまな心をもった連中は、高級官僚と財界幹部、あるいはその使い走りの政治家と御用学者、お先棒担ぎの電気紙芝居屋と瓦版屋と呼ばれていた。

これらのよこしまな心をもった連中は、海の彼方の、米が主食ではないがなぜか米の国と呼ばれる大国の支配層に、善良な国民が艱難辛苦して稼いだ富を貢ぎ、自分たちの支配を安堵してもらうことで権力の安泰を図っていた。

彼らの悪事は、たとえば、ジュール・ベルヌという、仏教が主要な宗教ではないがなぜか仏の国と呼ばれる国出身の空想科学小説作家が書いた「海底2万マイル」に登場する潜水艦ノーチラスの動力源らしきものを、発電に応用し、その仕組みが実は人間にとっては、あの「魔法使いの弟子」のかけた未熟な魔法のように、いったん動き出すと止められない危険なものであるにもかかわらず、絶対安全で危険ではないと言いつのり、やはり案の定暴走して困った事態になると、想定外でしたと言って誤魔化す、そのような悪事であった。

しかし、そのような悪事を目の前でやられても、その国の人々はなんと善良なことに、しかたがない、支配層の人たちも寝ないでがんばっているのだから、自分たちも我慢しようと言って、怒るでもなく嘆くでもなく、従容として、あのジュール・ベルヌの潜水艦の動力源らしきものが発散する、色もなく臭いもないが、ただちにではなく、じわじわと命を奪う得体の知れないものに身をまかせるのだった…

大震災から一か月

大震災から一か月。

警察庁発表では、亡くなった方1万3000余人、行方不明の方1万4余人。避難所などに避難している方14万人余。

亡くなった方の冥福をお祈りし、行方不明の方が見つかることを切に願う。 避難している方が落ち着いた生活を取り戻すことができるように。

合掌。