素人の政治家

13日付けで配信された共同通信の鳩山由紀夫前首相インタビュー記事。

一読して思い浮かんだのは、こりゃだめだ、素人(しろうと)が総理大臣ごっこをやってたんだから、うまくいくわけがないよ、という感想。

2009年夏の総選挙で、沖縄の米軍普天間基地を「最低でも県外」へ移設すると訴えたことを記者に尋ねられて、鳩山氏は「最終的に首相を辞する大きなテーマになるとは予測してなかった」と答えている。

予測していなかった?

まさか冗談だろうと思ったが、本気らしい。

アメリカ軍の基地をどうのこうのするということは、事の大小に関わらず、アメリカの軍部と軍需産業の複合体、および、これと強固に結びついた、日本国内の日米安保を国体と崇(あが)める層の、巨大な既得権を揺り動かすことになるわけで、いわば、虎の尾を踏むことと同じである。その虎が、張り子の虎かどうかは別として。

その虎の尾を踏むこと自体は、ブログ主としても大賛成なのだが、後先のことを考えずに虎の尾を踏むことだけなら素人にでもできる。政治の玄人(くろうと)なら、虎の尾を踏めばどうなるか、虎がどう吠えて、どこにどう飛びかかってくるかを周到に予測し、それに対する備えを十二分にするというのがあるべき姿なのではないか。

鳩山氏は、国会議員として給料をもらっており、2009年総選挙当時、間違いなく衆議院で多数を占めることになる政党の代表、ということは総理大臣になることが間違いなく見込まれる立場の人物だったわけで、玄人中の玄人と見なされて当然だ。

ところが、その鳩山氏は、自分が虎の尾を踏むという認識そのものがなく、したがって当然のことながら、虎が暴れだすことへのなんらの対応策もないまま、選挙戦で国民に、「普天間基地を国外へ、最低でも県外へ」と訴えたというのだ。

いやはや、恐れ入りました。

民主党に一票を投じた国民の多くは、沖縄の米軍基地の過重な負担はもとより、その根底にある日米安保体制に対する疑問をもち、民主党が負担や疑問を解決することを期待していたのではないか。沖縄県民はもちろん、日本中の人が、鳩山氏のこの「国外へ、最低でも県外へ」の訴えに共鳴して一票を投じたのではないか。

鳩山氏は、玄人ではなかった。ずぶの素人である。その素人が政党ごっこ、政権交代ごっこ、総理大臣ごっこを演じ、国民がそれに振り回されたというのが2009年夏の総選挙と政権交代の真実なのだ。

とんでもない人物が、歴史的な政権交代の中心にいたものだ。

鳩山氏は、政権交代直後、オリンピック東京大会開催のキャンペーンのため、政府専用機で国際オリンピック委員会が開かれているヨーロッパの都市へ飛んだが、本当はそんな悠長なことをしている閑はなかったのだ。当時、ブログ主は、東京都知事の石原某が自身の政治的無能をくらますために仕掛けたオリンピック東京開催キャンペーンに批判的だったこともあるが、この歴史的政権交代直後の時期に、こんなお祭り騒ぎに巻き込まれて時間を無駄にしていいのかと思っていた。

一事が万事。鳩山氏には、自分が歴史的な政権交代の中軸を担っているという自覚に欠けていたのだ。鳩山氏のしたことは、民主党に期待し政権交代に賭けた有権者に対する詐欺的行為である。

縁なき衆生は度し難し

今朝、何の気なしに民放TV(フジだったか)を見たら、当選した名古屋の河村市長が、これまた愛知県知事に当選した大村氏とともに出演し、吠えていた。途中から見て、すぐにスイッチを切ったので、前後の脈絡は一切分からない。

耳に飛び込んできたのは、司会?だかの、50歳前後に見える小作りで眼鏡の男性の「小沢はもう終わった人…」という発言。

終わった?

ホー、終わった、ですか。なにを根拠に、そうおっしゃる、小作りで眼鏡の男性よ。と、問いかけても、返事ができないでしょうな。だって、確たる根拠はないのだろうから。

強いて言えば、この発言の根にあるのは、小沢さんに終わってほしいという願望だな。それがポロリと出てしまったという塩梅なのだろう。

これは、多分、この小作りで眼鏡の男性だけのことではなく、既成マスコミの反小沢連に共通の願望なのだろう。

恐らく、この人たちは、小沢さんの主張を聞くこともなく、また、「政治とカネ」という呪文の正体をきちんと調べることもなく、周囲に流されて、何となく、小沢は悪い奴だ、と思い込んでいるだけなのだろう。

つまり、彼ら既成マスコミの反小沢論は、その根底に無知がある。

知ろうとすれば知ることができるにもかかわらず、無知のままに他者をおとしめる言動をなすは悪である。

縁なき衆生は度し難し、と言う。

まことに、彼ら反小沢を唱える既成マスコミは縁なき衆生、すなわち、無知から脱する機縁をもたない人々であり、だから度し難い、すなわち、救い難い。

ムバラク辞任で困ってしまった日経カイロ特派員の花房君

2月6日付のブログ記事「エジプト情勢とアメリカの忠実な番犬である日本経済新聞」で、日本経済新聞のカイロにいるらしい花房という人の記事をこき下ろした。

その、同じ花房という人の「エジプト大統領辞任、軍が権力掌握 米は歓迎の意向」という見出しの記事が2月12日付け日経のネット版に載っていた。冒頭部分は以下の通り。

【カ イロ=花房良祐】29年間にわたりエジプトを統治してきたムバラク大統領が11日、辞任した。スレイマン副大統領は同日、国営テレビを通じて「ムバラク大 統領は辞任を決断した」と話し、権力を軍が掌握すると宣言した。チュニジア政変に触発されてエジプトでは1月25日から連日抗議デモが続いていた。9月の 大統領選挙への不出馬を表明していたが即時辞任要求は収まらず、任期半ばの退任を余儀なくされた。米国政府は歓迎する意向だ。

2月6日付のブログ記事で指摘したが、この花房という人、デモの混乱に一部市民や観光産業関係者がいらだちを募らせており、ムバラク側が沈静化を図っていると書いて、反ムバラクのデモが低調になることを期待している気持ちを隠そうとしていなかった。

花房という人の気持ちの根底には、アメリカがすることは何でも正しい、そのアメリカが支援してきたムバラク政権にいちゃもんをつける輩は不届きものであるという、デモ参加者に対しての否定的な感覚があったのであろう。

ところが、デモに示されたエジプト国民の意思に逆らえず、ムバラク政権が倒れてしまったので、さあ困った。ムバラク政権が倒れないこと、すなわちアメリカのエジプト支配が続くことを願っていったので、デモに示されたエジプト国民の主張を顧慮せずに、ムバラク政権側に立って原稿を書き飛ばしていたものだから、引っ込みがつかなくなってしまった。

でも、世の中、捨てる神あれば拾う神ありだ。

「米国政府は歓迎する意向だ。」

花房という人にとって、救世主が現れた。この人の大好きなアメリカが、政権交代を是認したのだ。

よかったね、ほっとしたことでしょう、花房君。アメリカ様がオーケーを出したので、これまで間違った方向を向いて書いていた原稿の後始末を自分でしなくても済むことになったのだ。これからは、アメリカ様が歓迎する方向だ、と文章を結べば、見当違いの原稿を書いてきた不始末はすべて免責されるというわけなのだから。

ろくに取材もしないで、アメリカべったりの原稿を書いていればそれで済むような記者であれば、なにも大金をかけてカイロくんだりまで派遣することはないだろう。この花房という人の書いた、この程度の原稿であれば、エジプト現地にいなくても、通信社の配信記事と衛星中継のTV画像を見て、アメリカ万歳という調味料をかければ、日本にいてもいくらでも書けるのではないか。

こんなことに無駄金を使う新聞紙を、高い金を出して買う余裕のある人が何百万人もいるのだから、日本が不況だというのはひょっとして眉唾?

公約破りをそそのかす読売新聞

読売新聞は、2日付の社説で、民主党菅直人政権に対し、「一般会計に特別会計を合わせた予算全体の組み替えで必要財源を捻出できるとした民主党の公約は、とうに破綻している」から「一刻も早く公約の大胆な見直しに踏み切るべきだ」と説教している。

おー、大胆ですな。

読売は、菅直人に、国民との約束すなわち公約を破れ、とけしかけているわけです。

公約を破れ、ね。

公約・約束を破るということは、まっとうな世間の常識では、嘘をつくということだ。

つまり、読売さんは、天下の公党に嘘をつけとそそのかしていることになる。

たしか、新聞社は編集部門の社員募集に、大卒程度という条件を付けている。読売もそうなら、少なくともこの社説を書いている人は大卒程度の能力をもっているはずだが、はてさて本当かね。

嘘をついてはいけないし、まして、人に嘘つくようにそそのかしてはいけない、なんてことは、保育園児・幼稚園児だって知っているよ。

読売の社説を書く編集部門の社員の能力は、保育園児・幼稚園児以下ということだな。

読売さん、保育園児・幼稚園児以下の能力しかない人間が作っている新聞紙を、おアシをいただいて売っちゃあいけません。そいつは、詐欺やペテンのたぐいだ。そんなアコギなことをしていると、罰が当たるよ。

検察冒頭陳述の欺瞞

小沢さんの政治団体の陸山会関係者が、政治資金規正法に違反したとして東京地検が起訴した件の公判で、昨日、検察官がおこなった冒頭陳述は、小沢憎し、小沢葬るべしという検察のねらいが、すこぶる明瞭に現れたものだった。

インターネットの世界では常識になっているように、この事件なるもの、そもそも、法律違反とはいえないしろもので、これが違反になるなら、日本国民全員が捕まるようなものだ。

しかし、検察官のやりたいことは、あの憎い小沢に、金まみれの汚い政治家だというイメージをなすりつけ、政治的に葬りたいということなのだろう。

それが証拠に、この冒頭陳述で、問題になっているカネは、中堅ゼネコンからの闇献金だと主張しているが、それならば、闇献金自体を裁判の対象にすればよいのに、それをしない。それをしないで、政治資金収支報告書に記載した日付が数ヶ月ずれた程度の違反でも何でもないことをあげつらう。

闇献金などありはしない、架空の話だとブログ主は思うが、少なくとも、検察官がこのように、さもいわくありげに闇献金を臭わすことで、ドッグレースの犬状態のマスコミは飛びついて騒ぎ立て、新聞・TVしか情報源のない人は、ころりと騙されてしまう。

検察が、こいつはけしからん、やっつけてやろうと思えば、検察の言いなりのマスコミによる洪水のごときデマ報道がこれでもかと押し寄せ、誰彼の区別なく葬り去られてしまう。どなたかがおっしゃっているが、日本は、検察主導のマスコミファシズム状態だ。これで、日本は法治国家といえるのか。まるで検察主権国家ではないか。

ブログ主も、なんだか怖くなってきた。こんな片々たるブログでも、しっかり監視していて、この野郎、生意気にも検察批判なんかしやがって、一丁引っ掛けてやるか、と狙われたらもうおしまい。庶民の標準ではちゃんとやっているつもりでも、この連中の手にかかったらおしまいだ。なにをどう言いがかりをつけられて血祭りに上げられるか分かったもんじゃない。

くわばら、くわばら。

エジプト情勢とアメリカの忠実な番犬である日本経済新聞

エジプト人でタレントのフィフィさんが、自身のブログで、エジプトの反ムバラク運動について熱い思いを語っている。

フィフィさんによれば、今、エジプトで起こっていることは、一義的にはムバラク政権打倒の民衆蜂起だが、ムバラク追放を求める民衆の心には、ムバラク政権を背後で支えているアメリカへの怒りがあり、アメリカはエジプトにかまわないでくれ、中東に介入しないでくれ、というのがその怒りの中身なのだという。

これを、ブログ主流に解釈すれば、アメリカは、中東の石油利権を押さえておきたい、そのためにはイスラエル国家というアメリカに忠実な橋頭堡をこの地に確保しておきたい、イスラエルと良好な関係をもつエジプトのムバラク政権も、したがってアメリカにとっては重要な駒の一つだから、30年間も権力を握り続けている独裁政権であっても、イラクのフセイン政権に対してとは異なり、片目どころか両目ともつぶって、手を握り続けたというわけなのだろう。

これは、自分に都合の悪い独裁政権は大量破壊兵器を隠し持っていると言いがかりをつけて大軍をもって攻め込み崩壊させるが、自分に都合の良い独裁政権は支援するという、例によって例のごとくの、「自由と民主主義」の本家本元を自称するアメリカ合衆国のご都合主義だ。

今、エジプト起きていることは、この、アメリカの偽善と、その偽善に支えられた自国の腐敗独裁政権への怒りが根底にあるというフィフィさんの指摘は、そのとおりだと思う。この、フィフィさんの、エジプトを愛するエジプト人としてのブログでの発言には感心した。

ところで、アメリカの偽善的な振る舞いを、忠実な番犬のごとく、アメリカの側に立って報道する新聞がある。

いえ? アメリカの新聞ではありません、日本の新聞だ。そう、日本経済新聞。

4日、ネット配信された「カイロ=花房良祐」と署名された記事。カイロにいる花房という人が書いた記事と言うことでしょうな。

記事の見出しは、なぜか、数時間のうちに、「エジプト、反体制派が大規模デモ 「退陣の金曜日」と気勢」から、「エジプト、大規模デモ 大統領退陣求め「最後通告」」へと変わった。

その記事中の一文、「政権側と反体制派の溝は埋まっていない。ムバラク大統領は3日、辞任は混乱を招くとして任期満了まで職にとどまることに理解を求めた。」

「理解を求めた」?

誰に理解を求めたのだ。書いてないじゃないか。欠陥文章だよ。こんな文章をそのまま出稿した取材記者、それを見過ごした外信部だか外報部だかの担当デスク、それをチェックできなかった記事審査部だか校閲部。新聞の基本中の基本である記事の文章そのもので、こんな初歩的なミスを平然とやらかす日本経済新聞。

極めつけは、次の一文。

「1日には全土で100万人規模の抗議デモが発生したがムバラク大統領は次期大統領選への不出馬を表明したのみで即時辞任は拒否した。ただ一部の市民や観光産業に従事する関係者は都市機能のマヒにつながっている抗議デモにいら立ちを募らせており、大統領側も「混乱より安定が重要」と強調、沈静化を図っている。」

「一部の市民」って何?

市民ってことでくくられる人は沢山いる。反ムバラク派も親ムバラク派も同じく市民だが、花房君、君が話を聞いたのは、どっちなのかね。都合良く、自分の主観を記事に塗り込めながら、「一部の市民」などとさももっともらしく客観を装う詐欺的行為をしちゃいかんよ。

「観光産業に従事する関係者」?

花房君かまたは家族が日本に帰ろうとして航空券を買いに立ち寄った旅行代理店の窓口担当者が、たまたま、飛行機の予約は混雑してますよ、と渋い顔で言ったのを、花房君の主観で勝手に解釈して「いら立ちを募らせて」いることにしちゃったんじなあないのか。君はフィクションをつくるのがうまいね。

「沈静化を図っている」?

沈静化を図ってほしい、と花房君が願っているということじゃないのかい。そんなに、君は、ムバラク政権が、ということは、エジプトにおけるアメリカの支配が続いてい欲しいと願っているのか。

とまあ、わずか数行の記事にも、体制の、ということはアメリカに支持されてきたムバラク政権に肩入れしようとする気分が丸出しになる文章を書く人間が取材記者としており、その記事を何のためらいもなく配信する日本経済新聞社。

こういうのをアメリカの番犬と言わずして他になんと言う。

こんな新聞を、高い金を払って読まされている読者こそ、いい面の皮だ。

名古屋市長選挙

市議会のリコール可否投票と同時選挙をねらって、市長を辞職した河村候補が、民主党公認で自民党支援のもう一人の候補を押さえて優勢に選挙戦を進めているという。

愛知県は、ゼンセン同盟丸抱えの民社党時代も民社党王国だったし、民社党が民主党に合流して名前が変わってからも、民主党王国として依然その勢威は衰えていない。

その民主党王国愛知の名古屋市長選挙で、元は民主党衆議院議員とはいえ、党本部に反旗を翻し、減税および市政改革を主張して選挙を戦った河村候補が勝てば、これは、名古屋の有権者が、菅直人の財政再建・消費税増税路線にノーを突きつけ、「国民の生活が第一」の小沢路線に立ち戻れ、と意思表示したことになる。

さあ、菅直人君、どうする。これで、外堀は埋まったよ。

大相撲とプロレス、そしてマスコミの偽善について

またぞろ大相撲の八百長話。

こんなことは、珍しくもなんともない。昔からいくらでもある話で、知っている人はちゃんと知っている。

相撲中継にご執心のNHKをはじめ、マスコミの皆さんなら、相撲が八百長そのものの世界だなんぞということは百も承知のはず。知らないとは言わせない。知らないというなら、それは自分たちの取材について無能かつ怠惰を自ら認めることになる。

ところがどうだ、この連中ときたら、まるでおぼこ娘みたいにそんなこと露も存じませんとばかりに口を拭って知らん顔、あろうことか、嵩に掛かってやいのやいのと責め立てる始末、あのね、こういうのを、まっとうな世の中では偽善というんだよ。

ところで、ブログ主は、相撲の八百長なんぞ、なんとも思っちゃいない。

むしろ、こんなことを、何様のつもりか知らないがマスコミどもが、八百長なんぞと言って、天下の大罪ででもあるかのように騒ぐこと自体、間違っていると思っている。

そこで、その八百長とやらのことだが、相撲とはとんと縁がないブログ主でも、相撲の八百長がどんなものかくらい、先刻承知だ。

使者に立つのは床山や呼び出し、星一ついくらで取引が行われる。千秋楽当日、片や8勝6敗で勝ち越しは確定だが三賞には遠いという力士、片や7勝7敗、この一番で白星を上げなければ負け越し確定で幕下転落確実、しかも部屋で幕内はこの力士だけとなれば、部屋の経営にも関わってくるわけで、何十万、場合によっては何百万が動いても不思議でも何でもない。一方、八百長話を受ける側も、明日はわが身、相身互いだから、今場所はごっつあんです、先々、攻守ところを変えることになったら、そのときはよろしくというわけ。

ま、実態はこんな次第で、当たらずとも遠からずというところだろう。

お分かりのように、これすなわち、義理と人情、共存共栄と思いやりが真骨頂の日本社会そのものなのだ。

だから、相撲の八百長を糾弾することは、日本社会そのものを糾弾することに等しい。

じゃ、何でこんな騒ぎになるのか。もちろん、マスコミの罪が大きいが、相撲の勧進元である日本相撲協会のやりようにも問題がある。

元々、相撲は、日本的稲作農耕社会で村落の繁栄と五穀豊穣を願う神事の余興として始まったものだ。秋の村祭りで、子どもや青年が、鎮守の杜にしつらえられた土俵で取り組む、それを囲んだ村人が笑いさんざめきながら、実りに感謝し共同体の結束を再確認するといった場面を思い浮かべれば、このことは了解していただけよう。

それを、なぜかは知らないが、国技などと称し、国技館なる建物を造り、さらには相撲道などと「道」にまでしてしまったから、さあ大変だ。国技で、しかも相撲道ときたら、八百長なんてことは許されるわけがない。おまけに、協会も、財団法人の看板なんか掲げるから、小役人(文部科学省)の、公益がどうのこうのとか、青少年への影響がなんたらかんたらと、要らざる干渉を受けることになる。

まるで、自分で自分の首を絞めたような案配だ。

だから、協会は、柄にもないことをしないで、昔々、そうであったように、部屋持ち親方の集合体として、興業会社にでもなればよいのだ。

そう、プロレスのようにね。

プロレスも、プロレスを愛好する人々どうしの絆の確認や、ストレス解消、すなわちカタルシスという共同体の神事のような役割を担っていて、その意味で、相撲の担っている役割と共通するものをもっている。

プロレス草創期の立役者、力道山が相撲出身だったのは象徴的だ。

その、プロレスを、誰も、八百長をやっているといって責めはしない。愛好家は、プロレスとはそういうものだと思っているから、そこになんの問題も起こらない。

相撲協会も、検事上がりの小役人を役員として雇うなんぞというバカなことをせず、ここで心機一転、プロレス界にならって、親方衆の共同出資による株式会社化でもしてごらんよ。そのほうが、ずっとすっきりするよ。そうなったら、本場所も、海外巡業ではすでにそうしているように、公演と銘打って大々的にショーアップする、そうなれば、あの朝青龍のような悪役力士だって、プロレスがそうなように、十分活躍できる場面ができるし、興業会社としての利益だって天井知らずになるかもしれない。

こんなうまい話はないのにね…

新聞・TVという名の狂人

新聞・TVは、ジャーナリズムの一員ということになっていたのだが、このたびの、小沢さんをめぐる報道で、それが真っ赤な嘘であることが天下周知の事実となった。

検察審査会の議決による起訴は、どこをどうひっくり返しても無罪になるだろう。ほんの少しの知性と勤勉さをもって、関連資料にあたり事柄を整理すれば、小沢さんの「疑惑」なるものが根拠のない濡れ衣であることは一目瞭然だ。

まともな裁判官なら、裁判にならないとして公訴棄却を言い渡すはずだ。もちろん、「鳥なき里のコウモリ」のようなこの国では、裁判官が、霞ヶ関高級官僚軍団の一員として、あろうことか有罪判決を出す可能性も100%ないとは言い切れないが。

それをどうだ。各種の政治ブログサイトの伝えるところによると、新聞・TVは、小沢はけしからん一色で染まっているという。

彼らは、怠惰にも、ほんの少しの事実関係すらも自ら調べようとせず、検察や高級官僚の言うがままに、デマを垂れ流しているのだ。

この連中は、自分たちが何をしているのか分かっているのか。彼らのこの有様は、先の戦争末期、敗戦が確定的になっていたにもかかわらず、日本軍の大勝利、大戦果を歌い上げていたときと、寸分違わない。ほとんど、狂気である。

西ドイツ時代の連邦大統領、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは、連邦議会の演説で、「過去に目を閉ざすものは、未来に対してもやはり盲目となる」と述べたが、報道機関としての過去の罪から学ばない日本の新聞・TVは、未来どころか、この現在の、この瞬間についても、何も見えず聞こえないままであろう。

わが日本では、狂人が、ジャーナリストと称して、白昼堂々、公道を闊歩している。

ごっこ遊びの日本社会

菅直人や、この菅直人を民主党代表に選んだ民主党国会議員・地方議員・党員・サポーター、これらを報道・論評する新聞・TVの社員、政治評論家や経済評論家、これらの連中の言動を見ていると、総理大臣ごっこ、国会議員ごっこ、党員ごっこ、新聞・TVの記者ごっこ、評論家ごっこをしている子どものようにしか見えない。

子どもだから、誰も責任をとろうとせず、言いたい放題のやりたい放題。

いったい、いつからわが日本社会は、こうなってしまったのか。

1945年年8月の敗戦以降のことか。

当初は占領軍、その後は、アメリカ合衆国政府が、この子どもたちの保護者になった。

そういえば、占領軍総指令官だった米国軍人が、日本人は12歳の子ども、と言ったのだった。

まことに遺憾ながら、戦後のわが国の歴史は、この発言が正しかったことを証明している。

悔しくないのか、日本人。