東日本中部日本北海道大震災その3

13日日曜日、3日目。

TVは、福島原発ばかりを騒いでいる。

原発1機を覆う建物が、内部にたまった水素ガス爆発で吹き飛ぶ。

また、菅直人が出てきた。なにを言いたいのか、さっぱり分からない。とっちゃん坊やのような顔をした官房長官も出てきて頻りに何やら説明するが、専門用語をそのまま垂れ流すからわかりにくい。本人もなんだか分かっていないのだろう。原発から半径20キロ圏内の住民に避難指示が出た。官房長官は、放射能は大丈夫だが、万一に備えてだという。万一? 万に一つはあるということだ。

原発は万一の事故にも対応できるように安全対策が備わっているのだから安心と政府、電力事業者は言ってきたと思うが。

死者は数百人と報じているが、行方不明者が1万人とも。

夜に入って、東電が明日から計画停電をするという。電車が止まる。職場に人が集まらない。工場が動かない。生産、物流が滞る。医療が危機的になる。

被害集中地に円滑な支援をするためにも、被害が比較的少ないところの活動は確保しなければならないのだが、政府、東電はどこまでそのことを視野に入れているのだ。

蓮舫が、節電啓発担当大臣になり、辻元清美がボランティア担当首相補佐官になったという。うん? 人気取り?こんなときに? 菅直人はどこまでバカなんだ。救い様がない。

中国から救援隊が到着した。感謝。空港で、整列した救援隊に向けて外務省?の係員が深々と頭を下げるセレモニー。こんなのいらない、セットしたのは外務省? センスを疑う。

東日本中部日本北海道大震災その2

大震災から一夜明けた12日土曜日。

早朝、TVが菅直人の記者会見を映した。東電の福島原発にこれから視察に出かける、行ってきます、という短いもの。うん?、これが記者会見? 総指揮官が本部を留守にする? まだ、混乱を極めている現場に、お偉いさんが視察に来る? これが、一番イケナイ。菅直人は何を考えているのだ。自分の首相としての延命だけか。

テレビ画面に映し出される、津波の破壊力。言葉が出ない。

夕方、所用あり、車で町を走る。ガソリンスタンドはどこも、給油待ちの車で列ができている。

夜、菅直人の記者会見。こころに響かない。うつろな言葉。「オバマ大統領を始め、世界各国から支援の申し出がある」と。なぜ、アメリカだけ名前を挙げる? こういう場合、名前は挙げない、挙げるときはアルファベット順だろう。それが礼儀というものだ。どこまで、アメリカの番犬なのだ、菅直人は。

フジテレビは、アメリカの空母が日本に来る来ると大騒ぎだ。そんなにアメリカにすがりたいのか。

外国の救援隊の一番乗りは、韓国だった。感謝。

東日本中部日本北海道大震災その1

今回の大震災で、亡くなった方に謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災された方には心よりお見舞い申し上げます。

東日本全域と中部日本及び北海道に被災地域が広がっているので、当ブログでは上記のように表記する。

この大震災で、気付いたこと、感じたこと、思ったことを備忘的に記録しておく。

大震災当日のそのとき、東京の西部にある木造2階建て自宅の1階にいた。初めの数秒間、カタカタと建具が揺れる程度。すぐに納まるだろうと思っていたが、だんだん強くなってくる。数秒後、強い横揺れが来た。生まれて初めて経験する揺れ。ただ、立っていられない程ではない。隣の部屋に高さ1.2メートルの細長いスピーカーがあるので、倒れないように押さえておこうと思い、移動。揺れが続いている間、1分程、1〜2センチ左右に揺れていたが倒れることはなかった。

揺れが納まってから、TVをつけた。東北の太平洋岸に大津波警報が出たとアナウンサーが上ずった声でさけんでいる。大津波警報?こりゃ初めてだ。大事になりそうな予感。家人はみな出かけているが、半径10キロ以内にいる。メールするも反応なし、携帯電話はかからない。それぞれ、自分の身は自分で守れるだろうと楽観。30分くらい経って、都心で働いている娘から安否確認の電話。固定電話。職場からかけていると言う。

夕方までに、家人は帰宅。自動車運転中で、最初の揺れには気付かなかったが、近接して起きた2回目の揺れは、停車中で、車体が揺れるのを感じたという。

夜8時ごろ、娘から、電車が止まっているので職場に泊まるとメールあり。この時間頃からメールが届くようになる。

この時間、自宅近くの街道が、都心に向かう車で渋滞。電車が止まっているので、迎えに向かおうとしている。

ニュージーランド地震と言論の自由

どこの人間社会にも程度の差はあれ、流れや、空気といったものができあがると、その流れや空気に異を唱える人々を、時には暴力を使ってでも排除しようとする、全体主義的とでも集団主義的とでも呼べるような傾向がある。異を唱えることは、社会の秩序を壊すウィルスだから即刻、排除しなければならないというわけなのだ。

わが日本社会はその傾向が強いのだろうか、大きなイベントや事件・事故が起こると、一億一心火の玉になってしまい、いささかでもそのことに疑問を呈すると、非国民扱いが始まる。近頃は、個人主義が浸透してきたせいか、一時ほどではないが、まだそのことは色濃くあるように思う。

このたびのニュージーランド地震に関連して、一部政治家の言動や、新聞・TVの物言いに、このことをあらためて強く感じた。

例えば、民主党の松木健公氏が農水政務官を辞任するに際して、官房長官の枝野某の「地震対応に政府一体で取り組む中で大変遺憾で残念だ」(日経)という発言、自民党幹事長の石原某の「ニュージーランドで邦人も含めて、多くの方々の生死が取りざたされている中で、うちわもめをしている余裕はなく、世界に対しても恥ずかしいことだ」(NHK)という発言。

これらの発言は、先の戦争中、「この非常時にパーマをかけるとはけしからん。非国民!」などと言い募り、どんなときでもお洒落を忘れない女性の鏡のような女性を辱めた世の中の全体主義的な風潮と五十歩百歩ではないかと思う。

地震で被災された方々には同情するし、被害にあったわが同胞が一刻も早く救出されることを願うが、しかし、遠く離れた日本で、官民ともできることは限られている。日本政府としても救助隊派遣などできることとやるべきことをしながらも、それはそれとして、その他もろもろの内政外交課題に取り組まなければならないのは自明の理である。

そうした自明のことをわきまえず、かの地の地震と、この地の内政課題を一緒くたにして、松木氏の正当な政治的行動をおとしめようとする政治家と、その発言を無批判かつ肯定的に伝えるマスコミの振る舞いは、他国の地震災害への同情に名を借りた言論封殺と同じであり、人間社会の悪い癖である全体主義的・集団主義的風潮を助長するものだ。

[追記]

ニュージーランドは、日本と同様の島国で、火山もある地震国だったと思うが、それなのに耐震性ゼロのレンガ造りの建物があったとは驚きである。ニュージーランド政府は、暴力的な反捕鯨活動を実行しているシーシェパードなる団体の船舶の同国寄港を認めていたと思うが、クジラの命は大切にするも、人間の命は大切にしないのか。わからない国だ。

この国の癌は新聞・TV

ようやく、菅直人の政治家としての命脈が尽きそうである。

あの、サバの腐ったような目つきの菅直人とそのバカ女房が、表舞台から消えてくれることは日本国民と日本国にとって慶賀の至りである。

しかし、昨年9月の代表選で、小沢さんという最良の選択肢がありながら、このような最低の人物に投票し代表に選んだ民主党の国会議員、地方議員、党員・サポーターの責任は重大きわまりない。全員、頭を丸め、滝にでも打たれて、おのれの罪を悔いよ。

しかし、もっと罪が深いのは、「政治とカネ」のバカの一つ覚えを垂れ流し、国民を欺き続けているこの国の新聞・TVである。

本来、人々の曇りなき目となり耳とならなければならないマスメディアが、逆に、人々の目を塞ぎ耳を詰まらせ、小沢さんに関するありもしないデマ情報を刷り込む。

不正な報道を繰り返す新聞・TVは、人々が社会や政治に関して判断する際の材料に歪みを与えることにより、人々の正しい判断を妨げ、結果として、社会や国家のあり方を誤るものである。

このような新聞・TVは、いつの間にか体内に発生し、やがては本体を滅ぼす癌細胞のごときものだ。これを放置すれば、社会や国家が危うい。

不正な報道を繰り返す新聞・TVに対しての治療法は、見ない、読まない、聞かない、の「3ない」が一番効果的だ。

誰も見向きもしなくなれば、彼らも自分たちのしていることがいかに間違ったものであることに気付くことも、あるいはあるかもしれない。癌細胞が自ら萎縮していくことも可能性としてないことはない。

ブログ主は、わが国の新聞・TVが、社会や国家の健全な発展のために尽くすというジャーナリズム本来の役割に目覚め、本道に立ち返るべく、自ら、癌細胞を萎縮させる力を発揮することを願うものである。

検察冒頭陳述の欺瞞

小沢さんの政治団体の陸山会関係者が、政治資金規正法に違反したとして東京地検が起訴した件の公判で、昨日、検察官がおこなった冒頭陳述は、小沢憎し、小沢葬るべしという検察のねらいが、すこぶる明瞭に現れたものだった。

インターネットの世界では常識になっているように、この事件なるもの、そもそも、法律違反とはいえないしろもので、これが違反になるなら、日本国民全員が捕まるようなものだ。

しかし、検察官のやりたいことは、あの憎い小沢に、金まみれの汚い政治家だというイメージをなすりつけ、政治的に葬りたいということなのだろう。

それが証拠に、この冒頭陳述で、問題になっているカネは、中堅ゼネコンからの闇献金だと主張しているが、それならば、闇献金自体を裁判の対象にすればよいのに、それをしない。それをしないで、政治資金収支報告書に記載した日付が数ヶ月ずれた程度の違反でも何でもないことをあげつらう。

闇献金などありはしない、架空の話だとブログ主は思うが、少なくとも、検察官がこのように、さもいわくありげに闇献金を臭わすことで、ドッグレースの犬状態のマスコミは飛びついて騒ぎ立て、新聞・TVしか情報源のない人は、ころりと騙されてしまう。

検察が、こいつはけしからん、やっつけてやろうと思えば、検察の言いなりのマスコミによる洪水のごときデマ報道がこれでもかと押し寄せ、誰彼の区別なく葬り去られてしまう。どなたかがおっしゃっているが、日本は、検察主導のマスコミファシズム状態だ。これで、日本は法治国家といえるのか。まるで検察主権国家ではないか。

ブログ主も、なんだか怖くなってきた。こんな片々たるブログでも、しっかり監視していて、この野郎、生意気にも検察批判なんかしやがって、一丁引っ掛けてやるか、と狙われたらもうおしまい。庶民の標準ではちゃんとやっているつもりでも、この連中の手にかかったらおしまいだ。なにをどう言いがかりをつけられて血祭りに上げられるか分かったもんじゃない。

くわばら、くわばら。

大相撲とプロレス、そしてマスコミの偽善について

またぞろ大相撲の八百長話。

こんなことは、珍しくもなんともない。昔からいくらでもある話で、知っている人はちゃんと知っている。

相撲中継にご執心のNHKをはじめ、マスコミの皆さんなら、相撲が八百長そのものの世界だなんぞということは百も承知のはず。知らないとは言わせない。知らないというなら、それは自分たちの取材について無能かつ怠惰を自ら認めることになる。

ところがどうだ、この連中ときたら、まるでおぼこ娘みたいにそんなこと露も存じませんとばかりに口を拭って知らん顔、あろうことか、嵩に掛かってやいのやいのと責め立てる始末、あのね、こういうのを、まっとうな世の中では偽善というんだよ。

ところで、ブログ主は、相撲の八百長なんぞ、なんとも思っちゃいない。

むしろ、こんなことを、何様のつもりか知らないがマスコミどもが、八百長なんぞと言って、天下の大罪ででもあるかのように騒ぐこと自体、間違っていると思っている。

そこで、その八百長とやらのことだが、相撲とはとんと縁がないブログ主でも、相撲の八百長がどんなものかくらい、先刻承知だ。

使者に立つのは床山や呼び出し、星一ついくらで取引が行われる。千秋楽当日、片や8勝6敗で勝ち越しは確定だが三賞には遠いという力士、片や7勝7敗、この一番で白星を上げなければ負け越し確定で幕下転落確実、しかも部屋で幕内はこの力士だけとなれば、部屋の経営にも関わってくるわけで、何十万、場合によっては何百万が動いても不思議でも何でもない。一方、八百長話を受ける側も、明日はわが身、相身互いだから、今場所はごっつあんです、先々、攻守ところを変えることになったら、そのときはよろしくというわけ。

ま、実態はこんな次第で、当たらずとも遠からずというところだろう。

お分かりのように、これすなわち、義理と人情、共存共栄と思いやりが真骨頂の日本社会そのものなのだ。

だから、相撲の八百長を糾弾することは、日本社会そのものを糾弾することに等しい。

じゃ、何でこんな騒ぎになるのか。もちろん、マスコミの罪が大きいが、相撲の勧進元である日本相撲協会のやりようにも問題がある。

元々、相撲は、日本的稲作農耕社会で村落の繁栄と五穀豊穣を願う神事の余興として始まったものだ。秋の村祭りで、子どもや青年が、鎮守の杜にしつらえられた土俵で取り組む、それを囲んだ村人が笑いさんざめきながら、実りに感謝し共同体の結束を再確認するといった場面を思い浮かべれば、このことは了解していただけよう。

それを、なぜかは知らないが、国技などと称し、国技館なる建物を造り、さらには相撲道などと「道」にまでしてしまったから、さあ大変だ。国技で、しかも相撲道ときたら、八百長なんてことは許されるわけがない。おまけに、協会も、財団法人の看板なんか掲げるから、小役人(文部科学省)の、公益がどうのこうのとか、青少年への影響がなんたらかんたらと、要らざる干渉を受けることになる。

まるで、自分で自分の首を絞めたような案配だ。

だから、協会は、柄にもないことをしないで、昔々、そうであったように、部屋持ち親方の集合体として、興業会社にでもなればよいのだ。

そう、プロレスのようにね。

プロレスも、プロレスを愛好する人々どうしの絆の確認や、ストレス解消、すなわちカタルシスという共同体の神事のような役割を担っていて、その意味で、相撲の担っている役割と共通するものをもっている。

プロレス草創期の立役者、力道山が相撲出身だったのは象徴的だ。

その、プロレスを、誰も、八百長をやっているといって責めはしない。愛好家は、プロレスとはそういうものだと思っているから、そこになんの問題も起こらない。

相撲協会も、検事上がりの小役人を役員として雇うなんぞというバカなことをせず、ここで心機一転、プロレス界にならって、親方衆の共同出資による株式会社化でもしてごらんよ。そのほうが、ずっとすっきりするよ。そうなったら、本場所も、海外巡業ではすでにそうしているように、公演と銘打って大々的にショーアップする、そうなれば、あの朝青龍のような悪役力士だって、プロレスがそうなように、十分活躍できる場面ができるし、興業会社としての利益だって天井知らずになるかもしれない。

こんなうまい話はないのにね…

ごっこ遊びの日本社会

菅直人や、この菅直人を民主党代表に選んだ民主党国会議員・地方議員・党員・サポーター、これらを報道・論評する新聞・TVの社員、政治評論家や経済評論家、これらの連中の言動を見ていると、総理大臣ごっこ、国会議員ごっこ、党員ごっこ、新聞・TVの記者ごっこ、評論家ごっこをしている子どものようにしか見えない。

子どもだから、誰も責任をとろうとせず、言いたい放題のやりたい放題。

いったい、いつからわが日本社会は、こうなってしまったのか。

1945年年8月の敗戦以降のことか。

当初は占領軍、その後は、アメリカ合衆国政府が、この子どもたちの保護者になった。

そういえば、占領軍総指令官だった米国軍人が、日本人は12歳の子ども、と言ったのだった。

まことに遺憾ながら、戦後のわが国の歴史は、この発言が正しかったことを証明している。

悔しくないのか、日本人。

茶道なるもので何を学んだのか菅伸子

また、あの希代のバカ女、菅伸子が話題を提供してくれました。ありがとう。

先日、このバカ女のアホ亭主である日本国総理大臣菅直人閣下が、格付け機関のプアーズだかなんだかが、わが日本国政府発行の国債の格付けを下げたことについてコメントを求められ、「そういうことには疎いので」とのたもうたことはみなさまご存じの通り。

今は、格付け機関なるヌエのような民間会社の問題性や、日本国政府発行の借金証書である日本国債の評価については立ち入らない。これらについては、後日あらためて話題にしたい。

29日、京都外国語大学で、「茶の湯と私」と題して講演した際、このバカ女、アホ亭主に、「疎いなんて言うんじゃない、知らなかった、というんですよと言いました」としゃべったんだそうだ。

「疎い」というのと「知らない」というのと、どこがどう違うのかね。分かる人がいたら教えて欲しいものだが、「疎い」も「知らない」も同じことだろうて。こういうのを、「めくそはなくそを笑う」とか「五十歩百歩」というのだろう。もう、ほとんど漫才の世界だな。ご両人は、総理大臣夫婦なんて柄にもないことはさっさと止めて、お遍路でもしながら、「元総理大臣とそのバカ女房コンビの漫才道中」でもやらかしたほうがよい。

もっとも、こんなネタでは、行く先々で、水でも浴びせられて追い払われるのがせいぜいだろうが。

ところで、この女、茶道の藪内流の師範だそうだ。

茶道の師範。うーむ。茶道、ね…。

当日の講演の演題が、「茶の湯と私」!?

まあ、一目、このバカ女の手には余る演題だが、引き受ける方も引き受ける方、頼む方も頼む方。

引き受ける方の厚顔無恥は言うまでもないが、頼んだ方の京都外国語大学とやらも恥ずかしくないのかね。

まさか、このバカ女の講演を学生に聞かせれば学生の情操教育上効果ありなんて勘違いしたんじゃないだろうが、有名人を講演に招けば話題になり、学生募集に好都合とでも考えたのなら、逆効果だな。こんなバカ女にこんな分不相応な演題で講演させる大学は、その見識が問われるよ。

さて、このバカ話を伝えたのは、あの朝日新聞のネット配信記事だが、記事の最後に、こうある。

「あの人はおっちょこちょいなんです。トップになったら、おっちょこちょいじゃすまないの」と語り、場内は笑いに包まれた。

笑い? この笑い、苦笑、嘲笑だろう。取材記者さんよ、取材はちゃんとして、取材したことをちゃんとした日本語で表現しなさい。そうデスクに言われてないの?  あ、そうか、デスクもちゃんとした日本語書がけないんだったね、いつも「政治とカネ」のオウム返しだから日本語忘れちゃったんだ。そうか、取材記者さんだけ、責めるのは酷だったね。ワルイワルイ。

菅伸子と菅直人—葬式帰りに喪服でスーパーに立ち寄ったバカ女とそのアホ亭主

1月8日、この破れ鍋に綴じ蓋コンビは、知人の葬儀に参列した帰途、喪服姿で自分の選挙区内にあるスーパーに立ち寄り買い物をしたそうだ。

この破れ鍋に綴じ蓋コンビが、スーパーで買い物したことは知っていたが、まさか葬式帰りに喪服姿であったとは…

つい昨日、ネットでそのときの写真を見て目が点になった。

ま、よく考えれば、このバカ女にアホ亭主のことだから、こんな奇態なことをしてもおかしくはないのだが、それでも、まさか、そこまでバカだとは…

スーパーに立ち寄ったのは、日用品が不足したからだという。

? 4日の新年会で200人分料理を用意したが、50人も来なかったので大量に廃棄したため、自分たちの食料が不足したのか。

理由はどうあれ、こんなことはまともな大人のすることではない。

葬儀に参列するというのは、故人に弔意を表すということだ。弔意を表すというのは、人間の行動としてはもっとも重要なものの一つで、最大限の敬意をもってなされなければならない。それは、そのことのみのために行われなければならないもののはずである。行って帰ってくる。道草など食わない。

それを、日用品の充足という程度の用を足すためにスーパーに立ち寄る。しかも、その一部始終を新聞やTVに取材させる。庶民感覚をもっていることをアピールするため?

まあ、本当の庶民であれば、誉められたことではないが、あっても仕方がないかなとは思う。

しかし、この破れ鍋に綴じ蓋コンビは、わが日本国の内閣総理大臣夫婦なのだよ。

こんなのが、総理大臣夫婦をやっている日本という国は、いったい何なんだろう。