ダボス会議なる面妖な会合と例によってあの菅直人

世界経済フォ−ラムという団体が主催する会合が、冬のスイスのリゾート地で開かれている。あの菅直人が、政府専用機を使って、この会合に出席している。

政府専用機を飛ばすと、いったいいくらかかるんだ。数千万円?

そんな費用をかけてまで出る値打ちがあるのか、この会合は。

元々、スイスの大学の教員が始めた西ヨーロッパの経営者の会合が、企業の協賛金などを集めて規模を拡大し、いつの間にか、菅直人や、総理大臣当時の麻生太郎までもが、はるばる極東から、大金をかけてまで出席するような会合になったらしい。

どうも、胡散臭い団体の胡散臭い会合ですな。ウィキペディアによると、世界経済フォ−ラムなる団体は、国連経済社会理事会のオブザーバーだということだそうだが、そんなイチジクの葉っぱみたいな肩書きを着けたところで、いわゆる欧米エリートと金融資本家及び一部の産業資本家による、表面的にはともかく核心部分では実に閉鎖的な結社あるいはクラブのようであるし、いわゆるグローバリゼーション、すなわち国際的な商取引に関して自分たちの利益の極大化にとって都合の悪い制約を撤廃し、世界を弱肉強食の単一市場にしろと主張する利益団体のようにしか見えない。

そうではない、地球温暖化など環境問題にも積極的に関わっている、との指摘があるかもしれないが、環境問題も二酸化炭素の排出権取引に見られるように、国際的な金儲けのビッグチャンスになるという側面があることをお忘れなく。

そんな会合に、菅直人が、国民の税金をたいそう支出して、あのTPPとやらの、関税自主権を放棄し、農業始め国内地場産業が大打撃を受ける亡国政策断行の決意というか妄想を表明しに出かけた。

象徴的である。

菅直人は、政権交代の恩人を、検察(高級官僚)・マスコミ連合軍の悪巧みに生け贄として差し出すことで自己の出世欲を満たしたが、今度は、わが日本国の国益を、欧米の金融資本家及び一部の産業資本家に売り渡そうとしている。

こういうのを、売国奴というのではないだろうか。

小沢一郎氏への勝手な思いーその1

小沢一郎氏を見ていると、この人、政治家なんだけれど、実は政治家ではないのかもしれない、という思いが浮かぶ。

小沢氏の座右の銘「百術は一誠に如かず」。

ふつうの政治家は、己の願望を、「百術」を駆使して実現しようとするのだろうが、小沢氏は「一誠に如かず」を取るという。

あれこれ手練手管をめぐらすより、己の信念を愚直に訴え続けることを尊ぶのが小沢流なのだろう。ふつうの政治家とは次元が違うレベルの政治を小沢氏が目指しているようにも思える。

だが、しかし、嫉妬と裏切りが渦を巻き、百鬼夜行ならぬ百鬼昼行が現実の政治の世界で、一朝一夕に、小沢氏のやり方が実を結ぶとは思えない。だから、遠見では易々と、仙谷由人などという三百代言に、民主党の主導権を奪われてしまうことにもなるのだろう。

せっかく、「国民の生活が第一」に期待し、政権交代を実現させた主権者国民にとっては、今の民主党の有様は残念なことだが、しかし、見方を変えると、こうも考えられはしないか。

官僚主導は明治以来100年以上、米国の植民地状態は敗戦以来半世紀以上、かくも長く続いたアンシャンレジーム(旧体制)を変革するには、一回や二回の政権交代では無理なのであって、むしろ、今回の政権交代は、始まりの始まり、山登りでいうと、ようやく1合目に一歩踏み入れたというところなのではないか。

であれば、焦りは禁物、本当の民主政治、国民が主権者として政治を動す真の民主政治を実現するためには、地道なしかも王道を歩む行動の積み重ねが必要なのだ。

こうした亀の歩みに似た振る舞いは、時として、兎の如くすばしこい利巧者に先を越されるかもしれない。夜明けはまだ先かもしれない。

しかし、この1年ほどの政治の動きが、日本で真の民主政治を実現することの難しさを明らかにし、本物の民主政治を望むならそれなりの覚悟を固めることをわれわれ主権者に求めるきっかけになったと考えるなら、今回の政権交代は意味があったということではないか。

と、まあ、こんな感想とも諦めともつかぬ思いが浮かんでくるのだが。

小沢氏の胸中を去来するのも、ひょっとして、こんなことではないかというのは

ブログ主の勝手な思い込みか…

消費税増税は社会保障目的という真っ赤な嘘

菅直人は、消費税の増税は社会保障目的だから国民の利益になる、利益になるから国民は安心して消費に励み、結果、経済成長が実現して、その余禄が国民に回るのだから、汝国民は消費税増税をもろ手を挙げて歓迎せよ、と、まあざっとこんな頓狂をぶち上げている。

バカじゃないか。

こんな理屈にもならない屁理屈、小学生でも騙せないよ。

消費税が初めて導入されたとき、時の自民党政府はなんと言ったか。これで、年金を始め社会保障は万全です、と言ったのではなかったか。

3%から5%に上げたときも、同じことを言った。

消費税増税は社会保障目的だなんぞという言い草は、真っ赤な嘘である。

税金に色などついていない。

いったん財務省の手に入ったら、どこへ行くのやら、その行方は財務官僚のみぞ知る。

国民は安心して消費に励む?

冗談じゃないよ。

5%が10%になるということは、1万円の買い物で、500円の税金が1000円になるということだ。その差500円、500円玉一個だよ。

500円玉一個あれば、マクドナルドの100円バーガーなら5個も買える。安売り競争の牛丼なら2杯食べられる。

そんな大金を強制的に召し上げられることになるというのに、安心して消費に励むだと。

バカも休み休み言え。その反対だろう。みんな、財布の紐を締めて生活防衛に走るに決まっているじゃないか。経済は一段と冷え込むことになる。成長どころか、縮小に向かうこと必定だ。

このデフレ不況で、中小零細の皆さんは四苦八苦、学生さんも就職超氷河期で辛い思いをしている。これに輪をかけることになる罪作りが消費税増税だ。

菅の頓狂に加えて、例のごとくにマスコミが、消費税増税について国民の理解は得られつつある、などと嘘の上塗りをする始末。

日本のマスコミは、購読料金が再販価格維持制度で安売り競争から免れている新聞、不当に安い電波利用料で法外な利益を上げているTV局、ともに規制に守られ、独占にあぐらをかいて、このデフレ不況だというのに社員の平均給与は異常に高い。マスコミ貴族だ。

こんな連中のことだから、消費税が5%上がろうが、10%上がろうが痛くも痒くもないのだろう。それなのに、この連中ときたら、口を開けば「国民目線」「市民感覚」などいかにも庶民の味方のようなことをいけしゃあしゃあとぬかす。お前さんたちね、こんなアコギなことをしていると地獄に堕ちるよ。

しかし、情けないことに、どう見てもブログ主とそんなに変わらない家計状態にある庶民の皆さんの中に、こんな嘘八百を真に受ける人がいるのだから困ったものだ。

「年金をちゃんと貰えるようになるなら、消費税が少々上がってもしょうがないのじゃないでしょうか」

ウーム、騙す方が悪いのか、騙される方が悪いのか、どっちでしょうかねえ。

菅伸子と菅直人—葬式帰りに喪服でスーパーに立ち寄ったバカ女とそのアホ亭主

1月8日、この破れ鍋に綴じ蓋コンビは、知人の葬儀に参列した帰途、喪服姿で自分の選挙区内にあるスーパーに立ち寄り買い物をしたそうだ。

この破れ鍋に綴じ蓋コンビが、スーパーで買い物したことは知っていたが、まさか葬式帰りに喪服姿であったとは…

つい昨日、ネットでそのときの写真を見て目が点になった。

ま、よく考えれば、このバカ女にアホ亭主のことだから、こんな奇態なことをしてもおかしくはないのだが、それでも、まさか、そこまでバカだとは…

スーパーに立ち寄ったのは、日用品が不足したからだという。

? 4日の新年会で200人分料理を用意したが、50人も来なかったので大量に廃棄したため、自分たちの食料が不足したのか。

理由はどうあれ、こんなことはまともな大人のすることではない。

葬儀に参列するというのは、故人に弔意を表すということだ。弔意を表すというのは、人間の行動としてはもっとも重要なものの一つで、最大限の敬意をもってなされなければならない。それは、そのことのみのために行われなければならないもののはずである。行って帰ってくる。道草など食わない。

それを、日用品の充足という程度の用を足すためにスーパーに立ち寄る。しかも、その一部始終を新聞やTVに取材させる。庶民感覚をもっていることをアピールするため?

まあ、本当の庶民であれば、誉められたことではないが、あっても仕方がないかなとは思う。

しかし、この破れ鍋に綴じ蓋コンビは、わが日本国の内閣総理大臣夫婦なのだよ。

こんなのが、総理大臣夫婦をやっている日本という国は、いったい何なんだろう。

「破れ鍋に綴じ蓋」の菅伸子

亭主が亭主なら、女房も女房である。

12日に行われた日本外国特派員協会でのインタビューで、記者の質問に答え、「こんなこと言っていいのかしら」と前置きしつつ、両陛下と皇居で、昨夏、亭主及び自分の4人で会食した際の天皇の言葉を明らかにした。天皇は、当時問題になっていた「消えた高齢者」について、どういうことになっているのでしょうか、ともらしたそうだ。

ブログ主が、菅伸子の発言について思うことは二つ。

第1は、この女、自慢をしたなということ、第2は、この女、結局なんにもわかっちゃいないということだ。

第1について。

これまで、天皇との会食の際などの会話は、公にしないという慣例があるという。この慣例の当否については今は問題としない。

しかし、この慣例があるのを知ってか知らずしてか、天皇の言葉をもらしたのは、次のような浅ましい性根からなのであろう。

「私、菅伸子は、両陛下と差しで食事ができる地位にまで上り詰めたのよ、そうよ、ファーストレディーなのよ、どう、下々のみなさん、わかる、これってすごいことなのよ、今住んでいるところだって、首相公邸、永田町2丁目、都心の一等地よ、広すぎてもったいないから母親まで連れてきちゃった、そしたらどーお、感激しちゃったのか、呆けていたのに国会の周りで銀杏拾いまで始めちゃってさあ、おまけに、24時間警護のSPが付いてくれて、これってほんとのVIP、もおー、うれしくてうれしくて、いつまでもやっていたいから、亭主には言っているの、たとえ支持率がマイナスになったって辞めちゃだめだって、日本がどうなろうとそんなこと知ったことじゃないわよ、とにかくこの私がいつまでも栄耀栄華できればそれでいいの、だってあの中身が空っぽのバカ亭主をだましだましここまでもってきたのは私の力、総理大臣にしてやったのは私なんだから、このくらいのご褒美は当然よね、ついでに言うとね、亭主だってホントはどうでもいいのよ、他の女に走ったくせにさ、あんな奴! だからね、こんど生まれ変わったら、他の女に目もくれず、一から十まで自分の言うことを聞くもうちょっと操縦しがいのある男を選ぶの、どーお、文句ある?」

とまあ、戯文調でまとめてみたが、当たらずとも遠からずというところではないだろうか。

第2について。

天皇が、「消えた高齢者」について、ご自分が形式的であるにせよ任命した内閣総理大臣に、どうなっているのかと発言したということは、どうにかしなさいと命じたということだ。

日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇として、国民の間に亀裂が広がり、あろうことかその亀裂に高齢者がすっぽりと神隠しのごとく消え去る事態を看過することはできないと考え、総理大臣と親しく会食する機会をとらえて、改善を求めたということではないか。

ここで、天皇の政治への関与の当否については問題にしない。

これは、天皇であるかいなかということ以前の、現代の日本に生きる人間として(現在は天皇は現人神ではない)ごく当たり前の発言であり行動であると思う。

そこで、問題は、この女の反応だ。

このことをわがこととして受け止め、何とかしようとする姿勢を示したのか。国民の間に貧困と格差が広がり、家族関係や地域社会に亀裂があることを自らの痛みとして受け止め、改善のためにできることをしているのか。

たとえ、その亀裂、あるいは格差が、民主党政権以前から始まっているとはいえ、当代の責任者は、この女の亭主の、総理大臣である菅直人である。これは逃れようのないことだ。

読者よ、それは亭主の仕事で、女房は違う、と言うなかれ。この女は、先の民主党代表選挙の折、「もう少しやらせてください。だめなら自分が辞めさせます」と公言して歩いたのだ。よもやそのこと、お忘れではあるまい。辞めさせるとは、任命権者のみが言えるせりふだ。それを言うということは、この女、菅直人の任命権者つまり監督者になったつもりなのだろう。

であれば、この亭主と女房は一蓮托生、破れ鍋に綴じ蓋だ。

だから、亭主だけでなくその女房、菅直人だけでなく菅伸子の覚悟のほどを問うてもなんの問題もない。

その昔、池田勇人は、電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのもすべて総理大臣の責任というほどの決意でその任に当たる覚悟をしたという。

菅伸子よ、汝にその覚悟のほどありやなしや。

「李下に冠を正し、瓜田に履を直」した新聞社の社員ジャーナリスト

23日の夜、都内の日本料理店で、新聞社の編集部門社員、朝日新聞の星某、読売新聞の橋本某、毎日新聞の岩見某が菅直人と会食した。

彼ら編集部門社員三人のうち何人かは、先の民主党代表選の際、日本記者クラブで行われた記者会見で、候補者である小沢一郎氏と菅に質問していたし、また、一人はTVのニュースショーに出て、何やらコメントする姿をかつて見た記憶があるから、彼らは新聞社の編集部門社員、すなわち記者というものであり、したがって日本ではジャーナリスということになるものであろう。

年末のこの時期に、複数の人間が会食することを、世間では忘年会と呼ぶ。すなわち、この会食は、時の内閣総理大臣と新聞社の社員ジャーナリストが忘年会をやったということだ。

この日本料理店は、昼食時間帯でも一人1万円程度、夜になると数万円のお値段になる。総理大臣や高給を食む新聞社の社員ジャーナリストにとっては日常茶飯の価格かもしれないが、今日の昼食はマクドナルドの100円バーガーで済ませようか、コンビニのおにぎり2個で我慢しようか、あるいは頑張った自分にご褒美だから「天や」の500円の天丼で豪遊しようかという具合に、このデフレ不況下、減る給料、導入されるかもしれない消費税増税に怯え、財布のひもを絞れるだけしぼって生活防衛に走らざるをえない普通の国民、すなわちブログ主のような人間の感覚からすると目の球の飛び出るほどの高価格店だ(あえて高級とは言わない)。

この時期に、この価格の料理店で、新聞社の社員ジャーナリストが、時の最高権力者と忘年会をするというのはどういうことなのだろうか。

国民の知る権利の付託に応え、時の最高権力者にインタビューし、本音を引き出し、政治過程に影響を与えることはジャーナリストの職分ともいえるものだから、新聞社の社員ジャーナリストが、総理大臣と会うことは自体は正当な職務行動である。

だが、同時に彼らは、不偏不党にして中正公平な立場で可能な限り客観的な報道と論評をおこなうことを社是であるとか綱領としているはずの各新聞社の社員ジャーナリストである。

そうであるからには、そのような方針を掲げている新聞社の社員として、取材対象と蔓んでいるとか、あるいはグルになっているなどとあらぬ疑いをかけられるようなことをしてはいけないことになっているはずである。

そこで、今回の会食だが、社員ジャーナリストが総理大臣と、昼日中に、官邸などの執務場所で、ただ単に会ったということではなく、夜に料理店で忘年会をしたということであり、すなわち懇親をしたということである。

懇親とは、読んで字のごとく、懇ろに親しむということだ。

なぜ、彼らは、政権党である民主党の内部で、主導権を争うグループの一方の旗頭でもあり、いわゆる世論調査での支持率ががた落ちしている総理大臣でもある人物と、この時期に、彼らの大好きな言葉で言うと、「庶民感覚」とか「国民目線」からは目の球の飛び出る高価格の料理店で忘年会をやり、懇ろに親しんだのか。

「庶民感覚」や「国民目線」からは、「李下に冠を正し、瓜田に履を直」したと言われてもやむを得まい。つまり、菅直人と蔓んで、あるいはグルになって、小沢一郎氏追い落としの陰謀をめぐらしたなどと疑われてもしかたがないということだ。

彼らは、自分たちが国民の知る権利の負託に応え、不偏不党の立場から中正公平な報道に努める社会の公器としての新聞企業の一員であり、社会の木鐸としてのジャーナリストであると自負するなら、これまた彼らの大好きな言葉で言うと、自分たちのしたことについて「説明責任」がある。

菅直人に感謝

いやあ、菅直人には感謝です。なぜって、毎日のように汲めども尽きぬブログネタを提供してくれるんだから。

そういう意味で言うと、被告あっての裁判なのだから裁判官は被告に感謝、生徒あっての学校なのだから先生は生徒に感謝だね。

それはさておき、今日は、ロシア大使更迭をめぐるお話。

この話、切り口はてんこ盛りですが、まず第1は、あの日本外務省の言うことを真に受ける菅のお粗末から。

ネットの情報によると、先の、ロシア大統領のわが北方領土訪問の際、菅は、本当に大統領は訪問するのかと外務省に問い合わせ、外務省からはモスクワの大使館が訪問はないと言っているとの回答があり、それをそのまま鵜呑みにして、能天気に総理大臣ごっこをやらかしていたところ、あら不思議、大統領はわが国固有の領土をちゃっかり訪問していましたというわけ。

いやはや、よくもこの程度の情報収集で、北方領土という国家の主権に関わる問題に対応できるものだ。あの日本外務省に問い合わせてそれで済ませるくらいなら、小学生にでも総理大臣は勤まる。それをこの始末とは、よっぽど度胸がいいか、よっぽどおめでたいか、どちらかだろうが、菅の場合は、どちらかは、言わずもがなだ。

さらに、お粗末の上塗りをしたのが、ロシア大使の某を東京に呼び戻し、責任追及した一幕。なんと、官邸で、なんでオレにうそをついたんだと怒鳴りつけたのだという。

大使を本国に召還するというのは重大事で、場合によっては相手国と一戦構えようかとの意思表示にもなるきわどい行為だ。それを、自分の間が抜けていたからまんまとロシア大統領に鼻を明かされたにすぎないのに、誰かの所為にしないと気が済まないというその程度のことで、この挙に及ぶお粗末。

ロシア側は、まさかとはおもうが、一瞬、日本やるかとばかりに刀の柄に手をかけたかもしれない。それが蓋を開ければこのていたらく。またまたわが日本国を世界の笑いものにした菅の恥さらしだ。

第2は、外務大臣。

はて、外務省には外務大臣というのがいたと思うが、いったい何をしていたのか。このときの外務大臣は誰でしたっけ、岡田某? 前原某?

外務省を掌握して対ロシア外交の指揮を執り、領土という主権に関わる問題が焦眉の急を迎えているときに、内閣一体の原則の下、わが日本国の国益を守る第一線に立つのが外務大臣というものではないのか。

それができなかったのが今回の一件だが、はたして岡田某、前原某はどう責任をとるのか。それどころか、このご両人、次の総理大臣候補の下馬評に挙がっているというから不思議なものだ。いったいどうなっているのかね。

第3、ロシア大使某の腑甲斐なさ。

この、62歳の某とやら、気骨というものはないのかね。あなたはいやしくも特命全権大使でしょう。特命全権大使というのは、あなた方高級官僚の大好きな認証官です。恐れ多くも、天皇の認証した信任状を持って赴任する日本国代表だ。
それほどの重責を担う人物なら、菅のごとき総理大臣に対しては、お前のようなボンクラに四の五の言われるくらいなら、こちらからやめてやると辞表をたたきつけて席を立つぐらいの骨を持ちなさい。

ところが、骨を見せるどころかこの御仁、自分はロシアが専門ではないので…と言い訳がましく口ごもったという。なんともまあ、情けない。62年も生きてきて、一体全体なにを学んできたのかねこの人は。

とどのつまり、清廉潔白にして有能であり、政治家より国家のことを憂えているなどとマスコミが持ち上げる高級官僚などしょせんこの程度、一人ではなにもできない意気地のない輩ばかりだ。

この連中が、多数を頼んで、いわばヒルのごとくねっとりと官僚組織に絡みつき、権力からの甘い汁、すなわち人民の膏血である税金をなめとっているのが、残念ながらわが日本国の実体なのだ。

しかも、これを革命的に改革しようと志す小沢一郎氏を、マスコミの魑魅魍魎どもが嘘八百を並べ立てて貶めようとする罪業の数々。

こりゃ、この連中、地獄に落ちるよ。

やはり脳死状態の朝日新聞

ブログ主は、新聞を読まず、TVのニュース番組も見ないのだが、インターネットの政治系ブログは日々拝見している。

そうしたブログの一つで、小沢一郎氏に菅直人が政治倫理審査会への出席を要請し断られた件についての朝日新聞の社説の一部が引用されているのを見た。

孫引きだが、社説の趣旨は、小沢氏を非難し、菅直人に「小沢切り」に邁進しろと叱咤する内容とか。

本ブログのスタート時、今年の9月に1回、インターネットで公開されている朝日新聞の社説(厚生労働省局長の冤罪事件に関して大チョンボをやらかした特捜検察を激励して権力の監視役としての活躍を期待する趣旨)を批判する記事を書いた。

その際、ここまで「小沢を討ち取ろうとした特捜検察正義の味方病」あるいは「諸悪の根元は小沢だ病」が進行していると、回復は困難だろうと判断し、すでに朝日新聞はジャーナリズムとしては脳死状態だから、その論評については顧慮に値しないと考え、その後は一切、朝日新聞の社説は見ていない。

上記の、朝日社説を扱った政治系ブログを拝見して、3ヶ月前の朝日新聞に関するブログ主の判断は正しかったことを再確認した。

やはり脳死状態が続いている。

まあ、朝日新聞がどうなろうとどうでもよいのだが、こんな新聞を、お金を出して買う人がいるとは驚きである。なんだかんだ言っても日本は豊かなのだろうか。こんなゴミみたいなものに定期購読であれば年間5~6万円支払うことができる人がいるというのは。

それとも、脳死状態の患者さんの治療費の足しにと、苦しい中から捻出したお金をあてているのだろうか。だとすると、デフレで不況だというのに、日本には何百万人もの心優しき篤志家がいる、歴史上希有の国ということになる。

やはり、わが日本国は、むかしむかしある西洋人が旅行記の中で命名したように遙か東方の海上に浮かぶ「黄金の国ジパング」なのだろうか。

ついに常軌を逸した菅直人

20日の小沢一郎氏と菅直人との会談で、菅が感情むき出しとなり冷静に話ができない状況だったと、小沢氏が周囲に語ったという。

ネットでは、怒鳴り声がドアの外まで聞こえてきたという、まるで見てきたかのような話も伝えられている。

これはいけない。菅直人が度を失った。

ブログ主は、これまで、9月の民主党代表選で菅直人の政見政策のあまりのお粗末さと配偶者の珍妙な振る舞いや、代表選後は挙党一致400何人内閣とかでやるという公言をくつがえす行動の数々を対象に、菅をこき下ろしてきたが、今回のこれは、これまでとは様相の異なる菅直人の致命的な欠陥である。

いやしくも一国の責任者ともあろう者が、一瞬たりとも冷静さを失ってどうする。総理大臣は、日本国民1億2千万人の命を預かっている。この世界は一寸先は闇である。天変地異に外交関係、何が起こるかわからない。

何が起こっても、リーダーたるもの、冷静さを失わず、その時点でベストの決断を下さねばならない。

それなのに、元はと言えば、自民党麻生内閣が野党第1党の党首をねらい打ちにした政治的テロともいえる「政治とカネ」騒ぎを利用して、小沢氏を悪者に仕立て上げ、総理大臣の地位に一刻でも長くしがみついていたいという卑小かつ利己的な動機からの行動で感情的になり冷静さを失うとは何たることか。

もう、菅という男はどうしようもない。一国の最高責任者どころか、国会議員すら務まらない。

どうしてこんな男が、その地位についているのか。

わが日本国の政治のレベルはここまで落ちてしまったのか。

一国の政治家のレベルはその国の選挙民のレベルと釣り合うというが…

いよいよ病状重い菅直人

小沢一郎氏と差しで90分面談し、人間として、また、政治家としての格の違いを思い知らされたであろう菅直人が、とうとう、総理大臣で居たい病の末期にさしかかってきた。

もう少しまともな人間であれば、ここらで、ご免なさいと謝り、素直にその地位を小沢氏に返すところだが、この男、どこまでもねじくれている人間だから、あろうことか、小沢氏を、国会の議院証言法上の証人として喚問しようと策謀をめぐらし始めたという。

病膏肓に入る、とはまさにこのことだ。もう、こりゃ直らない。

本人が、この先死のうが生きようが知ったことではないが、日本国はそうはいかない。この国難をどうするかだが、答えは一つ、小沢氏に、ご面倒ながら後を引き受けていただくしかこの国難を救う道はない。

ところで、小沢氏にご登場願うにはいくつか排除しなければならない邪魔ものがある。

邪魔ものは「政治とカネ」のでっち上げ総本家家元である特捜検察を筆頭に盛り沢山だが、とりあえずこの局面では、菅のごときその器でない人物を、舞い上がらせてその気にさせた、官房長官の仙谷、前原等の民主党の新自由主義一派とマスコミだ。

この連中を何とかしなければならない。

とくにマスコミについてである。

ところで、マスコミとて、誰も見向きもしなければ、みんなで渡れば怖くない式の、仲良し記者クラブによる検察リーク横並び報道の垂れ流しを続けるはずがない。マスコミには、一方に、それこそマスな受手がいるから、「政治とカネ」の嘘八百を、飽きもせず並べ立てるのである。

こんな嘘八百を誰も聞かない、見ない、読まないとなれば、今のマスコミの中には、一部の希少種を除き自分一人になろうとも吾ゆかん、などという気概をもった輩などいはしないから、たちまちの内に嘘八百は消え去るだろう。

ところが、世の中捨てる神あれば拾う神ありで、その嘘八百を真に受ける人がけっこういるらしく、山のこだまのように世論調査の数字となって帰ってくるものだから、マスコミの連中が自分たちの嘘八百をあらためて本当のことだと思い込んでしまい、ますます居丈高になってこの嘘八百を錦の御旗のごとく担ぎ回ることになる。

そこで、肝心なのは、マスコミと受手である多くの人との間のこの山びこの応酬のごとき嘘八百のやり取りをどこかで断ち切ることである。そのためには、多くの人が、新聞を読まない、購読しない、テレビのニュース、ワイドショーや政治報道・評論は見ない、聞かないことにするのが一番良い方法だ。

そういうと、だって新聞がないとテレビの番組表がわからない、チラシ広告が見られなくなる、とか、テレビなんて時計代わりにつけているだけで本気になって見たりなんかしない、とかの声が聞こえてくるのだが、大丈夫、スーパーの安売りは店に行けばすぐわかるし、1か月分の番組表雑誌は数百円で買えるし、本気じゃなくとも聞こえてくれば聞いてしまうのでやはりスイッチを切るかチャンネルを回すのが正解です、とお答えする。

それに、なにより、新聞を購読しないと年間5~6万円の節約になり、おまけに新聞ゴミが出ない、テレビのバカ番組を見ないと人生の貴重な時間の節約になるなど、良いことのほうが多い。

というわけで、本日のブログは、菅直人の病状から始まって、新聞・テレビを見ないと、人生お得ですよ、という結論と相成りました。