小沢氏の戦い

今日、例の検察審査会起訴による小沢氏の裁判があった。

その場で、小沢氏が述べたことは、以下のようなことだ。

特捜検察に象徴される高級官僚集団という巨悪の手にこの国を委ねるのか、それとも、国民の手に主権を取り戻すのか。前者の道をたどるのならこの国に未来はない。こんな裁判が、国家権力の名の下に白昼堂々おこなわれるということは、まさにこの国が破滅に向かう兆しだ。この国が未来を持つためには、特捜検察や検察の言うがままにメチャクチャな判決を書く裁判官による裁判とは全力で戦わなければならない。

ブログ主は、小沢氏の主張に100パーセント同意し、巨悪と敢然と戦う小沢氏に敬意を表する。

当ブログも、小沢氏の驥尾に付して、国民の手に主権を取り戻すために、法治国家の名に隠れて権力を濫用する検察官や裁判官とは、言論をもって戦う覚悟だ。

近代経済学という虚構

近代経済学というものがある。

社会科学分野の中ではもっとも自然科学に近い、ということは数学化の進んだ分野であり、科学としての制度化が進んだ分野であるとされている。

確かに外見的には、アカデミズムの中に確固とした足場をもち(理科系単科大学以外のほとんどの大学には経済学ないしその関連学科の学部がおかれている)、標準的な教科書があり、多数の関連学会を擁し、専門誌への投稿の多寡などに基づく業績評価システムが確立しており、おまけにノーベル賞まである一大領域を形成しているように見える。

しかしこの近代経済学なるもの、物理学や化学、生物学などの自然科学と同様な意味での科学といえるものかどうか、はなはだ疑問だ。ブログ主の見るところ、それはせいぜい、経済事象を事後的に統計処理することで、あのとき起こっていたことはこんなことでした程度の解説がようやくできる講談のようなものでしかない。

量子力学のようなものはさておき、少なくともニュートン物理学に代表されるような自然科学であれば、いついかなる場合であっても妥当する法則を見いださなければならない。そのような法則であれば、日食がいつ起こるか正確に予測できるように、ある条件があればある結果が必ず起こることが予測できるはずだし、可能であれば(条件を変えることができれば)人間の望むとおりに結果を変えることができるはずである。

しかしながら、近代経済学なるもの、いかなる意味においてもそのような法則を発見したことはない。それが証拠に、リーマンショック以来、世界の大多数の人々は経済の混乱により塗炭の苦しみを受けているが、この混乱と苦しみを避けるための予測なり、予防策なりを何ら示すことができなかったではないか。

やっていることといえば、ことが終わった後で、あと知恵よろしくリーマンショックは斯々然々のプロセスで起こりました、はい、さようなら、という人をばかにしたようなことだ。

ところが、世間では、こんな講談まがいの近代経済学の専門家と称する連中がしたり顔で、財政健全化のためには増税するべしとか、市場の自由にまかせておけばうまくいくのだから万事放任がよろしいなどと世迷い言を繰り出す茶番。おまけに、世の人々はそれを、偉い学者先生の言うことだからと鵜呑みにして担ぎ回る始末だ。

経済学の経済とは、経世済民のことだと昔教わった記憶がある。であれば経済の学を名乗る以上、経世すなわち世を治め、済民すなわち民を安んずることを究めるのが任務のはずなのだろうが、どうもこの近代経済学なるもの、そんなことはとうの昔に忘れ果て、難しい数式を使ってなにやら科学をやったつもりになり、挙げ句の果てにノーベル賞なんぞというものをやったりとったりして自己満足にふけっている、困ったチャンたちの観念遊戯のようだ。

本日の結論。近代経済学者なる連中の言うことは、眉に唾して聞け。

リビアの民主化という嘘

リビアの内戦で反カダフィ勢力が優勢となり、カダフィ政権は崩壊したようだ。これを、新聞・TVは、リビアの民主化と称する。

民主化?

米国・フランス・イギリスなど欧米諸国政府による軍事介入がなければ反カダフィ勢力が勝利できたかどうかわからない。はたして外国軍隊の助けを借りて成立する政権が民主的でありうるのか。

米国・フランス・イギリスなどの介入国政府にしても、見返りを考えずに軍事介入に踏み切ったわけではあるまい。介入しカダフィ政権が倒れることで利益が得られるからそうしたのだろう。

その利益とは、石油だ。

リビア石油の確認埋蔵量は世界第9位。その石油が、欧米諸国政府(その背後にいる国際石油資本)の意のままにならないカダフィ政権の手に握られていたのではおもしろくない。埋蔵量4位のイラクではフセイン政権を倒して「民主化」を実現した。次はリビアだという訳なのだろう。

国際石油資本と欧米諸国政府の意に沿わない政権を、民主化名目で軍事介入して崩壊させる。これでは国際社会における主権平等など絵に描いた餅だ。力(軍事力)に勝る国の政府であれば、よその国の政権だろうと何であろうと、どうとでもできてしまう。

怖いことになったものだ。

彼らの次の標的はどこだろう。同じく世界第6位の石油埋蔵量を持ち、米国主導の世界秩序に逆らうチャベス率いるベネズエラ政府?

裁判という名の茶番

わが国人の裁判信仰は、いつからのものなのか。大岡裁きが伝説化してからのことなのか。すると、百年単位のことなのか。

裁判とて人間のすること、間違いがないことなどあり得ない。にもかかわらず、この国の人々は、裁判の判決をまるで天のご託宣ででもあるかのように担いで回る。

この国では、刑事裁判の有罪率が100%近い。異常である。しかも、公訴権は検察官が独占している。事実上、有罪か無罪かの決定権は検察官が握っている。検察官による恣意的な決定の横行。

検察は笑いが止まらないだろう。自分たちの決定に、誰も意義を挟まないどころか、諸手をあげて歓迎してくれるのだから。

これは、無法ではないのか。正義はどこにあるのだ。こんな無法状態から我が身を守るにはどうしたらよいのか。

怖い国です、秋津島大和の国は。

お子さま内閣の政治ごっこ

いつのまにか、内閣が交代していた。

と、思ったら早くも一人辞めて、その後釜が、前の内閣で福島原発事故の放射能は「ただちに害がないから心配ない」と嘘を繰り返して国民をだました官房長官だったというからあきれる。

嘘をついてごめんなさい、と腹でも切るのかと思ったら、いけしゃあしゃあと顕官に返り咲く。いったいどういう神経をしているのか。いや、神経がないか。

こんな人物を任命する総理大臣も同じ穴の狢だ。

というわけで、とどまるところを知らない民主党お子さま内閣による政治ごっこ。

こういうのを見ていちばん喜んでいるのが、この国の真のアドミニストレーター(管理者、オランダ人ジャーナリストのウォルフレン氏の用語)である霞ヶ関高級官僚グループと、宗主国である米国だろう。

なんてこった。

大人と子ども

昨日、電車に乗ったら、車内の液晶広告画面でニュースというものを流していた。日米外相会談をやるらしい。

アメリカの女性外務大臣の、老獪を絵に描いたようだがかなりくたびれても見える顔が映し出され、続いてわが国の外務大臣だという、中年のように見えるが未熟な若者のようにも見える男性がうれしそうに歩いているところが映し出された。

ありゃりゃ、これは勝負にならない。

一方は、その力に陰りが見え始めているとはいえ、当代におけるローマ帝国ともいうべきアメリカ合衆国の外交を司る人物である。好きか嫌いかは別として、その外交交渉力はかなりのものであろう。

他方、このうれしそうに歩く何とも年齢不詳な男性。以前、TVのニュースショー番組で発言しているのを見た記憶があるが、そのときの印象では、まあ、中学生の学級委員に毛が生えた程度の人物で、とてもじゃないが、国益をになってローマ帝国ならぬアメリカ帝国の代表と四ツ相撲が取れるような人物ではない。

大人と子どもだ。これじゃ喧嘩にならない。

といっても、いまのわが国は、ふつうの主権国家ではなくアメリカ帝国の保護国みたいなものだから、一方が大人で当方が子どもであってもこれはこれでいいのかもしれませんな。それなりに調和がとれている。わが国が保護国である限りはね。

『週刊新潮』中吊り広告の無残

今朝、電車に乗ったら、『週刊新潮』の中吊り広告が目に入った。

いわく、「新・目白の闇将軍になる仙谷由人官房副長官-老獪な寝技を駆使し、パワーゲームの中心に立つ最高実力者は云々…」
うーん、仙谷某が「目白の闇将軍」に「最高実力者」ね。

『週刊新潮』さん、気が違ったんじゃあないの。それとも、官房機密費でも貰ったのかい。あのねえ、田中角栄氏の政治家としての、かつ、また人間としての実力は、こんなチンケな仙谷某とやらとは、それこそ、月とスッポン、天国と地獄ほども違う。比べるも愚かなことだ。

そんな当たり前のことも分からなくなったのかい、この週刊誌は。おまけに、「最高実力者」だと? へっ、可哀相に、こりゃあ、放射能の毒が当たったに違いないよ。

さて、毒が当たったんだかなんだか知らないが、こんな中吊り広告で、善良な一般大衆を、釣り上げようなんていい根性してる。でもね、この連中の浅はかな魂胆なんざあ、とうに底が割れてるよ。

なにを焦っているんだか、こんな気の利かない中吊りのフレーズじゃあ雑魚一匹釣れやしない。この週刊誌、この間の朝日新聞支局襲撃事件犯人手記の大誤報もありで、いよいよ「病膏肓に入る」だね。

カレル・ヴァン・ウォルフレン「誰が小沢一郎を殺すのか?」あるいは間抜けな日本のジャーナリストについて

「誰が小沢一郎を殺すのか?」は、オランダ人のジャーナリストで、長く日本に滞在した経験を持ち、日本の政治と社会についての鋭い分析で知られるウォルフレン氏の近著。

小沢一郎氏が、わが国の政治の真の改革に必要不可欠な存在でありながら、検察と大手マスコミによる「政治とカネ」のネガティブキャンペーン攻撃を受け続けるのはなぜかについて、氏のこれまでの分析をふまえてすこぶる説得力のある議論を展開している。

詳細については、この書をお読みいただくとして、ウォルフレン氏の主張の核心は、ブログ主の見るところでは、次のようなことである。

わが国の政治(のみならず経済も、社会のあり方も)の根本問題は、日本国が、独立主権国家ではなく、アメリカ合衆国の保護国ないし従属国の地位に甘んじていることにあり、小沢氏はこの状態を変革し、日本を真の独立国家としようと奮闘している。小沢氏に対する「人物破壊 character assassination 」というべきネガティブキャンペーンは、日本がアメリカの保護国ないし従属国状態にとどまっていることから利益を受けている日米両国の支配層が、小沢氏による変革を脅威ととらえ、これをつぶすために仕掛けたものである。日本国民が、日本が真の独立国家となることを願うならば、小沢氏がネガティブキャンペーンによって抹殺されようとしているのを座視してはならない。

以上がウォルフレン氏の主張の核心だと思うが、同感である。ブログ主が、このブログを始めたのも、2年前の総選挙直前の特捜検察と大手マスコミによる一連の反小沢キャンペーンがあまりにも異様であり、日本の民主主義を案ずる国民の一人として、まさに座視することはできないと考えたからであった。

しかしながら、菅直人及びその一派の「小沢はずし」、いやむしろ「小沢抹殺」の動きを見ていると、民主党内においてさえ、小沢氏に対するネガティブキャンペーンに荷担する勢力がはびこっている始末であり、残念ながら、日本属国化・従属化推進勢力が、今なお猖獗を極めているのがこの国の現状であると断じざるを得ない。

だが、どんな状況も、永遠不変でありうるはずはない。かのアメリカ合衆国の覇権にしても今や並ぶもののない絶頂にあるように見えるが、絶頂にあるということは、言い換えれば次の瞬間には衰亡に向かうということだ。世界最強の軍事力を誇る国の大統領が、たった一人のテロリストを、他国に特殊部隊を派遣してまで暗殺するという常軌を逸した行動に出る有様は、かの国が衰退に向かいつつある証でもある。

さて、ウォルフレン氏の著書に戻るが、いかに日本滞在が長いジャーナリストとはいえ、外国人がこれほどまでに日本の政治や社会を鋭く分析しているのに、日本で生まれ育ちながら、バカの一つ覚えの「政治とカネ」報道に明け暮れる間抜けな日本のジャーナリストって、いったい何なんでしょうね。それに、そのバカの一つ覚えにころりとだまされる少なからぬわが同胞も。

 

 

アメリカの属国・日本の悲哀

あの菅直人の女房が、また、下品な顔をメディアにさらした。毎日新聞が、この女のインタビュー記事を、一面に載せたのだそうだ。

この夫婦は、亭主も亭主なら、女房も女房だね。稀に見る、品性劣悪、救い様がない連中だ。まあ、こんなのが、この難局に総理大臣をやっていられるのも、日本が一人前の独立国ではなく、かのアメリカの属国のようなものだからなのだろう。

つまり、国の最高責任者が、こんな救い様のないバカを女房にしており、それが出しゃばるのを止めようともしない無能かつ無責任であるにもかかわらず、国が滅びないということは、すでに国が滅びている、すなわちアメリカの属国状態になっているということにほかならないわけだ。

それと、毎日新聞というのも面白い新聞だな。ほんとうは朝日新聞のようになりたくてしょうがないコンプレックスがあるが、それをあからさまに出すのは悔しいから、論調の立ち居位置が定まらない。だから、時々、こんなグロテスクなインタビュー記事を一面に載せたりする。

ところで、仙谷某が、キングメーカー気取りでちょろちょろしているようだが、これも属国の悲哀を感じさせるな。こんなイカものが次の総理大臣選びを主導する?

こりゃあ、なんですな、「面白うてやがて悲しき鵜舟かな」の世界ですな。

 

小沢氏の勝利

いやー、今日は面白いものを見せてもらった。久しぶりに政治の醍醐味を味わった気分だ。

小沢氏の、名人芸とも思われる手法。菅直人のごときガキのような人物には手も足も出せまい。政治家として、というよりも、人間としての格が違いすぎる。

それにしても、小沢氏の力量は格別である。なにしろ内閣総理大臣に辞意を表明させるのだから。玄人の政治家ならこのことを十分に理解しただろうし、「政策」「政策」とバカの一つ覚えのように叫び回るお子ちゃま代議士たちも、少しは理解できただろう。

さあ、政治がますます面白くなってきたぞ。